デクスター・ゴードンとノーマン・グランツの「一期一会」など
今年のテーマは勤勉なので
元旦からこのブログをはじめましたし、ブルーノート関係の書籍や資料があればなるべく手に入れるようにしています。
Stan Britt:Dexter Gordon,A Musical Biography (Da Capo)
もそんな1冊ですが、デクスターが亡くなる前の1989年の古い本です。
デクスターは1986年、バド・パウエル(と多分レオ・パーカー)をモデルにしたジャズ映画
ベルトラン・タベルニエ監督『ラウンド・ミッドナイト』(20世紀フォックス)
に主演し、地のままの名演で
(とにかく強い酒をくれ、というバーのシーンがらしくて素敵でした)
グラミーの主演男優賞にノミネートされ、
(ライバルはポール・ニューマンやマイケル・ケインでした!)
受賞こそ逸したものの、その充実した晩年に大輪の花を添えましたが、
本書の終章では、ニースの街でデクスターを見かけた
旧友レッド・カレンダーが後から声をかけます。
「おーい、映画スターじゃないか」
デクスターの答、
「夢が覚めないように願うだけだね!」
そのデクスターの初リーダー録音は、巻末のディスコグラフィーによると
1943年LAのデクスター・ゴードン・クインテットで、ピアノはナット・(キング・)コールです。
70年代に
『King Cole Meets Master Saxes』(Phoenix Jazz LP5)
という海賊盤というか名私家盤があって、 後に英SPOTLITEが再発しましたが、
そーか、あれが初リーダー作だったか。
しかも4曲中2曲はSP盤(78回転両面レコード)の
Mercury/Clef9300で発売されたとあるから、するとノーマン・グランツなのか?
グランツは劇場でジャズを聴かせるJATP(Jazz At The Philnarmony)の創案者で、
後にクレフ~ヴァーヴ(Clef~Verve)レコードを立ち上げる大プロデューサーです。
最初の頃はマーキュリーと契約してJATPのライヴ録音やその他の録音をレコード発売していました。
これはその一作というか、ミシェル・ルプリのディスコグラフィー(Greenwood)によると、グランツの最初の録音作品のようです。
巨人デクスターの初リーダー作=大プロデューサー、グランツの最初の作品
なのですね。
デクスターにヴァーヴのイメージは全くありませんし、
実際、これがデクスターとグランツの(レコード上の)唯一の接点であることを、
同ディスコグラフィーの索引は明らかにしています。
フシギな気もしますが、
デクスターは1953年以降の60年代はヘロイン禍でほとんどまともに仕事をしておらず、
一方のグランツは、1953年にクレフを立ち上げ、56年にヴァーヴと改名、1960年にはMGMに売却、
と、両者は実に全くのすれ違いの時間をすごしてしまったわけです。
50年代の薬禍中にも、デクスターは酔っ払い拳士の酔拳の一閃を見るような傑作2作を55年に突然残しています。
・Daddy Plays The Horn (Bethlehem)
・Dexter Blows Hot And Cool (Dootone)
60年代の復活後の豪快なプレイは、まず以下のブルーノートの諸作で聴くことが出来ます。
1961
・Doin' All Right (Blue Note 4077)
・Dexter Calling (Blue Note 4083)
1962
・Go! (Blue Note 4112)
・Swingin' Affair (Blue Note 4133)
1963
・Our Man In Paris (Blue Note 4146)
1964
・One Flight Up (Blue Note 4176)
1965
・Gettin' Around (Blue Note 4202)
100613追記)
その後まったく同じ本を本棚から発見しました。とほほ。
元旦からこのブログをはじめましたし、ブルーノート関係の書籍や資料があればなるべく手に入れるようにしています。
Stan Britt:Dexter Gordon,A Musical Biography (Da Capo)
もそんな1冊ですが、デクスターが亡くなる前の1989年の古い本です。
デクスターは1986年、バド・パウエル(と多分レオ・パーカー)をモデルにしたジャズ映画
ベルトラン・タベルニエ監督『ラウンド・ミッドナイト』(20世紀フォックス)
ラウンド・ミッドナイト [DVD] (2009/09/09) デクスター・ゴードンハービー・ハンコック 商品詳細を見る |
(とにかく強い酒をくれ、というバーのシーンがらしくて素敵でした)
グラミーの主演男優賞にノミネートされ、
(ライバルはポール・ニューマンやマイケル・ケインでした!)
受賞こそ逸したものの、その充実した晩年に大輪の花を添えましたが、
本書の終章では、ニースの街でデクスターを見かけた
旧友レッド・カレンダーが後から声をかけます。
「おーい、映画スターじゃないか」
デクスターの答、
「夢が覚めないように願うだけだね!」
そのデクスターの初リーダー録音は、巻末のディスコグラフィーによると
1943年LAのデクスター・ゴードン・クインテットで、ピアノはナット・(キング・)コールです。
70年代に
『King Cole Meets Master Saxes』(Phoenix Jazz LP5)
という海賊盤というか名私家盤があって、 後に英SPOTLITEが再発しましたが、
そーか、あれが初リーダー作だったか。
しかも4曲中2曲はSP盤(78回転両面レコード)の
Mercury/Clef9300で発売されたとあるから、するとノーマン・グランツなのか?
グランツは劇場でジャズを聴かせるJATP(Jazz At The Philnarmony)の創案者で、
後にクレフ~ヴァーヴ(Clef~Verve)レコードを立ち上げる大プロデューサーです。
最初の頃はマーキュリーと契約してJATPのライヴ録音やその他の録音をレコード発売していました。
これはその一作というか、ミシェル・ルプリのディスコグラフィー(Greenwood)によると、グランツの最初の録音作品のようです。
巨人デクスターの初リーダー作=大プロデューサー、グランツの最初の作品
なのですね。
デクスターにヴァーヴのイメージは全くありませんし、
実際、これがデクスターとグランツの(レコード上の)唯一の接点であることを、
同ディスコグラフィーの索引は明らかにしています。
フシギな気もしますが、
デクスターは1953年以降の60年代はヘロイン禍でほとんどまともに仕事をしておらず、
一方のグランツは、1953年にクレフを立ち上げ、56年にヴァーヴと改名、1960年にはMGMに売却、
と、両者は実に全くのすれ違いの時間をすごしてしまったわけです。
50年代の薬禍中にも、デクスターは酔っ払い拳士の酔拳の一閃を見るような傑作2作を55年に突然残しています。
・Daddy Plays The Horn (Bethlehem)
・Dexter Blows Hot And Cool (Dootone)
60年代の復活後の豪快なプレイは、まず以下のブルーノートの諸作で聴くことが出来ます。
1961
・Doin' All Right (Blue Note 4077)
ドゥーイン・オールライト+2 (2008/03/26) デクスター・ゴードン 商品詳細を見る |
デクスター・コーリング (2009/06/10) デクスター・ゴードン 商品詳細を見る |
・Go! (Blue Note 4112)
ゴー! (2009/06/10) デクスター・ゴードン 商品詳細を見る |
ア・スインギン・アフェア (2009/01/21) デクスター・ゴードン 商品詳細を見る |
・Our Man In Paris (Blue Note 4146)
アワ・マン・イン・パリ+2 (2007/06/20) デクスター・ゴードン 商品詳細を見る |
・One Flight Up (Blue Note 4176)
ワン・フライト・アップ+1 (2008/10/22) デクスター・ゴードン 商品詳細を見る |
・Gettin' Around (Blue Note 4202)
ゲッティン・アラウンド (2009/06/10) デクスター・ゴードン 商品詳細を見る |
100613追記)
その後まったく同じ本を本棚から発見しました。とほほ。
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